「喧嘩するほど仲がいい」は真実か?
おはよ~, らおくらです。
さっきまでツイッターで知り合いとレスバをしていてこんな風に思いました。
「喧嘩するほど仲がいい」は、偽ではないかと。
僕がさっきまでしていたのは仲がいいからこそのレスバ(喧嘩)であることは事実です。
知り合い以外が同様の発言をしていても無視したであろうから。
僕が議論したいのは、インターネットが普及して様々な場所, SNSで色んな人が十人十色の意見を言えるようになったこの時代における「喧嘩するほど~」の妥当性です。
そもそも「喧嘩」とは何でしょう。
喧嘩とネットで検索しても、カップルが...とかあまりためにならない記事が多い。
話を戻して、喧嘩と言えば「口喧嘩」や「取っ組み合いの喧嘩」が想起されます。
また理由に関しては、お互いの思想や利益が食い違ったから、に収束します。
いうなれば、争いです。
しかし、先にも挙げたように現在では様々な(必要のない?)争いが起きています。
例として、炎上。ある人の過激な発言や問題がありそうな行動、それに意見を言ったり言い返したりと争いが起きます。この収拾がつかなくなった状態が炎上です。
このとき、当人たちは仲がいいのでしょうか。
このことわざが成立したのはいつか、存じ上げません。
しかし、今年成人する私が生まれたころにはあったと思います。
私たちの世代はインターネットの普及とともに育ってきました。
つまり、このことわざがインターネットがないころに生まれたのは明白です。
このように、インターネットを通じたコミュニケーションにおいて、「喧嘩するほど」は偽でしかありません。
私が主張したいのは「喧嘩するほど~」という古い考え方を捨てろ、
と言うことではありません。
むしろ、インターネットによって崩された争いの均衡を是正すべきだと考えます。
インターネットによって予期せぬ争いが起き、必要のない苦しみを負っている方は非常に多い。もちろん、炎上した側を擁護したいわけでもありません。した側にも責任があると思います。当初の内容といささか異なりますが、インターネットの匿名性とか言って某掲示板の創設者に地上波でフルボッコにされたロン毛の評論家が議論していたことよりも問題は高次元にあると思う。
とここまで書いて。
争いの最たる例である戦争に関して、これもインターネットの普及前に行われており
当人同士の仲は良くないという事実を今更思い出しました。
結局、「喧嘩するほど」は狭い世界でしか通用しないんですね。
やっぱこの考え捨てるべきだな。
今回はこの辺で。
よしなに。