らお≠くらめーるの備忘録

らおくらの備忘録, Twitterで呟ききれんことを書く。

中途半端な言葉を使って逃げるのを止めてみないか。

おはようございます、らおくらです。

 

今日はクリスマスイブ。

一人寂しく書くのです、精神を鍛えていく。

一個前の記事では、読書経験が語彙力に結びつくぞ、と言う話をした。

語彙力と言うのは、人となりを表すぞ、とも言ったわけなんだけど。

 

中途半端な言葉ばかり使うヤツと言うのは得てして中途半端なヤツだと言える。

 

たとえば「平等」とかいう不安定な言葉。

何が不安定っていうかっていうと

そもそも「平等」と言う言葉, 概念, 解釈は時代とか場所によって異なるわけです。

例えば、資本主義と社会主義というのは引き合いに出されがち。

 

例としてこないだの僕と教授の会話

 

僕「先生、僕たちは再履修で講義内容を理解しきれていないところがあるので、

補講とかして頂けませんか?」

教授「平等に講義をしていますので出来ません。」 

 

待て待て待て、と。

 

たしかに生徒に同じ回数, 同じ内容しか教えない、という意味では平等でしょう。

 

しかし、勉学, 講義というのは受け取る人によって修得できるレベルが異なる。

特に我々のように再履修している人間と言うのは、科目に対して苦手意識がある, 

教授との相性がすこぶる悪い、というように履修に対する

マイナスな要素を多く持っている。

 

その要素を無視して「平等」「平等」と逃げるんじゃない。

 

教授という立場ならば、学生が求めているのだから補講ぐらいしてくれないか。

 

先の記事にもつながりますが、

補講という言葉があるわけですから、概念としてはおかしくない訳です。

 

閑話休題

 

他に中途半端な言葉の例を挙げるなら、

ゲームやらバンドの募集で「ガチ寄りのエンジョイ」とか

「行けたら行く」とか

 

「行けたら行く」、と言うのは要にするに行かない訳です。

しかし、人間関係を円滑に進めるために, 行くという選択肢を残しておくために

こういう中途半端な言葉を使うわけです。

 

言われた側は、当然「俺はその程度の人間か」とムカつく。

 

関係を切りたくないのであればそんなことを言うべきではない。

 

いいかげん

中途半端な言葉を使って

逃げるのを止めてみないか。